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昔は学校の校門近くに必ず立っていたのが「二宮尊徳像」です。
現在、鳴門市内の小学校でも半数以上の学校で見られますし、その存在や意味を 知ることもなく、通学してくる児童たちをやさしく見守ってくれているおじさんく らい?に思ってくれればよいくらいでしょう。 昔をお思い出し鳴門市内の小学校18校(内2学校閉校含む)を訪れ、再確認し てきました。全18校のうち建立当時のままの青銅製1体・陶器4体・セメント5 体・石1体の合計11体でした。二宮尊徳の話が教科として取り上げられるとかで 物議を醸しているとか、私は素直に懐かしく対面してきましたので、それ以外のコ メントは省きます。 閉校なった小学校で青銅製の尊徳像 台座には「勤勉」のプレートが すべての尊徳像 二宮尊徳 にのみや・そんとく 天明7年7月23日(1787年9月4日)~安政3年10月20日(1856年11月17日) 通称は二宮金次郎。公人としては尊徳を使用。正式の読みは「たかのり」。 相模国足柄上郡栢山かやま村生れ。少年期に父母を失い、災害で没落した家を独力で再興した。 この体験をもとに天地人三才の徳に報いることを説く報徳思想を形成。また、家・村を復興して興国安民を実現する仕法を体系化した。 文政5年(1822)に小田原藩に登用され、天保13年(1842)には普請役格の幕臣となる。関東とその周辺の諸藩領・旗本領・幕領・日光神領の復興や個別の家・村の再建を依頼されて指導した。下野国今市いまいちの仕法役所で没す。となっています。(HPから)
by y-koba84
| 2014-04-26 10:36
| 鳴門市関連
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